2012年03月14日

どこまでが自己責任か?

みなさん、こんばんはわーい(嬉しい顔)
本日もご覧いただきありがとうございます。

自営業の方は、確定申告の期限が15日にせまって
きましたね。
もう申告は終わりましたか?

僕は今になって、やっと重い腰を上げてとりかかり
ました。

領収書の整理が8割がた済んで、やれやれとコーヒーを
飲んで一息ついていると、ん? なんかたりない・・・

なんと、ネット通信料の年間領収書を取り寄せていない
ことが発覚。

こりゃ郵送してもらっていては間に合わないので、
直接ケーブル会社に行って発行してもらいます。

まったく、毎年ギリギリになってしまうのは誰のせい
なんでしょう。

それは、まだ間に合うという言い訳を繰り返して
先延ばしにした自分のせいです。

というわけで、今日のお題は自己責任についてです。

いうまでもなく、社会で生きていくためには、自分の身に
起こったことは他人のせいにせず、自分で責任を取る
ことが求められますね。

この一見疑問の余地がないと思われる常識も、見方に
よっては、首をかしげざるを得ない側面があります。

キーワードは「三つ子の魂百まで」ということわざです。

広辞苑を見ると「幼いときの性質は老年まで変わらない」
とあります。

なぜ幼いころの性質は長く尾を引き、その後の人生に
多大な影響を及ぼすのでしょうか?

これには2つの理由が考えられます。

一つには、幼いころの頭や心は非常にやわらかく、
善悪の判断基準がほとんどないため、まるで粘土にハンコを
押すかのように、まわりの大人に言われたことや、
経験から判断した考え方が、いとも簡単に記憶される
からでしょう。

もう一つには、両親をはじめ、自分の運命を握っている
人たちから言われたことが納得できなくても、彼らに
従わざるを得ないという事情があります。

大人の言うことに対して、「なんで?」「どうして?」
と問いかけても、「それが当たり前だ」とか「つべこべ言うな」
といった具合に何度も否定されてしまっては、幼く柔軟な
心は大きく傷つくでしょう。

たとえ「なんか違うぞ」という魂のささやきを聞き取ろうと
して、心の耳を澄ましてみても、理性という名のモンスター
が咆哮(ほうこう)すれば、ささやき声は消されてしまいます。

ここで両極端な2つの環境を仮定します。

まずは創造力を遺憾なく発揮できるように育つための理想環境。

もしも、自分に大きな影響力のある人たちが、ことごとく
自分の能力を肯定してくれたなら、未来をあらわす言葉が希望、
成功、達成、充実といった幸せいっぱいの人生を歩むでしょう。

それでは逆の場合はどうでしょう。

希望に胸をふくらませて何かをやろうとしても「どうせうまく
いかないさ」と言われ、うまくいったことがあっても「それが
どうした」と否定され続けたら、「自分は何をやっても
ダメなんだ」と思い込んでしまうかもしれません。

僕の考えはこうです。

少なくとも自分の考え方や信念が形成される過程においては、
100%自己責任と決め付けてしまうには、あまりにも
酷な状況があります。

つまり、「三つ子の魂」には、自分の意思の力だけでは
いかんともしがたい強力な抵抗力があり、時に魂の叫びを
実現しようとする行動をさまたげてしまうということです。

もちろん、いかなる理由があろうとも破壊活動を肯定する
つもりはありません。

その一方で、もしも思い通りにいかないことがあって
落ち込むことがあっても、「100%自分のせい」と
決め付けるのは得策ではありません。

幼いころには、無力さゆえに、そう考えるしかない、
そうする以外選択肢がなかったという状況が誰にでも
あるはずです。

自分を責めては、すでに傷を負ったインナーチャイルドが
ますます傷つきます。

「自己責任」という言葉には、社会通念上、形だけの倫理を
徹底させるための、都合のよい考え方が潜んでいるのかも
しれません。


本日のウエスト=81センチ


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posted by リバウンドゼロ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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